『源氏物語』は現代文で読もう!瀬戸内寂聴訳がおすすめの理由

雑学
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『源氏物語』をいざ読もうと思って、古文の授業を思い出して震えあがったことはありませんか。

舌をかむような敬語が次々と現れて、誰が誰かわからなくなって大混乱・・・・・・一千年も昔の作品はやはり難しいものです。

いっそ現代文でサクッと理解してしまいましょう。私のおすすめは瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』(全十巻)です。

「誰なのかがわかりやすい」

まずなによりも現代文で書かれていることが、この訳をおすすめする理由です。

紫式部の書く『源氏物語』はあまり「誰が」を書くことがありません。

「敬語の程度で誰なのかを示す」ように書いてあます。

誰が行ったのやら、誰が感じたのやら、当時の人間ならばあたりまえに察するでしょうが、現代に生きる我々にはさっぱり無理な話です。

瀬戸内寂聴は「誰が」なにをしたかわかるように書いています。

無駄に頭をひねって、あげく誰なのか察し間違える心配がありません。

「丁寧語で書かれている」

2つ目の寂聴訳のよさは「丁寧語で書かれている」ことです。

好みによるかもしれませんが、「~いた」「~という」「~なった」という文はどうにも素っ気ないのです。

瀬戸内寂聴訳では「ありました」「なのです」「なさいます」といった丁寧語で書かれています。

そう、その上「なさいます」と敬語も使われているのです。

紫式部は敬語の丁寧度合いを駆使して主語を察するように書いています。

ただ、これをあまりに正確に現代語にされると、うっとおしい。

いっぽうで、まったく敬語がないというのも味気ないのです。

瀬戸内寂聴訳は、敬語と丁寧語をよい塩梅で使ってあります。

「訳者が出しゃばりすぎ」

欠点がないわけではありません。

まずは前書きから「新しい読者のために」と、瀬戸内寂聴が語りかけます。

さらに全十巻の『源氏物語』一巻ごとに解説を加えるのです。

「本は自分で読みたい、他の人の解釈はいらない」という方には、要らぬお世話でしょう、前書きも解説も不要です。

思うに、瀬戸内寂聴は『源氏物語』が好きすぎるのでしょう。

それでつい『源氏物語』を語ってしまうのです。

『源氏物語』『すらすら読める源氏物語』『わたしの源氏物語』『源氏物語の女君たち』『「源氏物語」こころの旅』・・・・・・と、瀬戸内寂聴は『源氏物語』で本を出しまくっています。

思い出せば瀬戸内寂聴はテレビでもしばしば『源氏物語』を語っていました。

ひょっこり顔を出してきては『源氏物語』を語りまくる尼僧――前書きから各巻の解説まで、瀬戸内寂聴をうとましく思う人がいて当然です。

まとめ

わかりやすい現代語訳で、丁寧に趣をもった文章で『源氏物語』を訳してあるのは、現代人にはたいへんにありがたいのです。

語りまくる尼僧を時にうとましく感じながらも、私は瀬戸内寂聴の『源氏物語』を強くおすすめします。

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